今回、この脱原発美術館内に展示した作品は、第1テントの人々と共に考え出した理想の建物「経済産業省前第四分館」の建設計画である。

約一ヶ月間、曜日ごとに異なる人々が滞在する第1テントに通い、「もしこの場所に理想の家を建てるなら」というインタビューを続けた。そこで聞くことが出来たこの場所の「理想」とは、長きに渡る占拠活動の苦労を物語るような「快適」な環境だった。また一方で、叶うはずのない「仮説」の建物だった。

アクリルケースに展示されているのは、現在のテントと、理想の「経済産業省前第四分館」、2つの建築模型である。また理想の建物の設計図、そして、第1テントの人々との会話の記録である。


経済産業省第四分館 | ステートメント

脱原発テント。今でも彼らは原発が無くなることを信じて活動している。未だに無くならない原発をよそに、仮設テントで占拠した「ひろば」をめぐって、経済産業省と言い争いを続ける。議論すべき的から外れ、ありもしない仮説を立てる経済産業省。テント側もそれに応えるように仮説を被せ、平行線をたどる。終わらない喧嘩に、「やれやれ」という思いを抱きつつも、時間と身体を投じて、テントで泊まり込みの活動を続けるおじいちゃんおばあちゃんに、ねぎらいと敬老精神をもって、きちんと向き合いたいと思った。

 経済産業省の前にある「ひろば」は、建設当初からベンチが備え付けられ、誰でも自由に入れる公共の公園だった。しかし 、2011 年 9 月 11 日から、反原発活動家達による占拠が始まった。その占拠が始まるとともに、経済産業省は、「ひろばは公共の公園ではなく、経済産業省の敷地であり使用するためには使用料が発生する」と仮説を立て、経済産業省らしく使用料 1 日 22,000 円を請求した。これに対し、テント側は「主権者宿営権」という新たな権利を作り上げ、公共の公園における野営と占拠の正当性を主張し、国(経済産業省)と裁判で争うかたちとなった。

 結局、一審判決では国(経済産業省)の訴えが認められ、裁判所は、テント側にテントの撤去と損害賠償(使用料)の支払いを命じた。その後、テント側は控訴を申し立てたが、東京高裁においても控訴棄却が言い渡された。

 2011 年 3 月 11 日以降、勃興した反原発運動の参加者は 20 万人にまで膨れ上がった。だが、メディアの関心や運動の参加者が少なくなった今でも、脱原発テントで活動する彼らは「ひろば」占拠の正当性と強い反原発の想いを持って国と電力会社と闘っている。 それはテント建設から 5 年が過ぎた今でも、彼らの「理想」が果たされてはいないからだ。彼らは「原発が無くなればすぐにここから退去する」、「ここはしんどい、いつまでもこんな所で生活したくはない」と漏らす。

 長期にわたる野営活動と、国との裁判に負けて意気消沈する仮設テントの彼らに、高い熱量で戦っていた頃を思い出してほしい気持ちと、僕にはいまいちピンと来ない主張を聞きながら、閉鎖された「仮説テント」の中で、僕は新たな仮説を被せた。